7/4に父が旅立った。入院していたが、このご時世、私達東京の住民はお見舞いずっと行かれなかった。しかし故郷愛媛の松山で大好きな父にとっての甥たち、兄に看取られた。猛烈仕事人間の昭和親父でしたが、私は一度も叱られた記憶がない。いつも何でも受け入れてもらった。甘やかされた娘というところでしょうか。神戸の物流の仕事で中国、東南アジアを駆け巡り、84歳くらいまで現役で後進を引っ張った。7/4土曜日の0時に亡くなり、その日にお通夜、日曜日にお葬式、まるで「月曜からそれぞれ持ち場に戻ってくれ!」と言わんばかりのタイミング。父らしい引き際だ。葬儀の時、甥が声楽の道へ歩みだしたこともあり、出棺の前に私と甥とで「故郷」を歌い、列席者にご唱和頂いた。父は孫を目の中に入れても痛くないほどにかわいがってたので、どれほど喜んでいることか。長い間、激動の昭和から平成、令和と生き抜いた父を誇りの思う。お花